「家族」を迎えるにあたっての覚悟

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Creative Commons License photo credit: Tasslehoff Burrfoot

彼、彼女らに与えられた時間は、ぼくたち人間と比べてとっても短い。

はじめは本当に小さく、か弱い彼らはびっくりするぐらいの早さで大人になって、老いていく。だから彼らを迎える前には、最後の時まで一緒にいる、なんて本当の覚悟が必要なのです。

そうした覚悟のうえで「家族」になってくれた彼らは、言葉もないし、何を伝えたいのかもよく分からないのだけれど、喜怒哀楽は間違いなくあって、彼らは精一杯に生きて、その短い一生のなかで精一杯の愛情をぼくたちに与えてくれます。

数年、十数年経って、彼らが帰ってしまったときには与えてくれた愛情の分だけ、ぽっかりと彼らの形をした大きな大きな穴が心に空いてしまうのだけれど、それもいつしか自然とおんなじ形をした思い出が、その大きな穴を埋めてくれます。

彼らはけっして悲しませるためにぼくたちのところに来るんじゃなく、出会いのきっかけはどうあれ、ぼくたちを幸せにするために来てくれる。

彼らの短い一生が幸せなものだったのかどうか、言葉もないし、ふといなくなられてしまうものだから確認することはできないのだけど、それでも最後に笑って思い出せるような関係だったのなら、きっとお互いに幸せだったんじゃないかなあ、なんて。

それぐらいは思ったって許されると思うのです。

なんで突然こんなエントリをしたのかって?

我が家のリン・ランを迎えるにあたっての原動力のひとつでもあった、赫乃丈の愛フェレットこと「ショボチン」が天に還ったからです。ご冥福を祈るぜ、コンチキショウ。

  1. こんなに思ってもらえたならきっと幸せだったはずだと思うのです

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